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ビブリオバトル第2位『植物少女』——静かな世界から響いてくる声【リカバリーフロア】
4月10日(木)に実施されたビブリオバトル。今回の第2位には、芥川賞作家・朝比奈秋さんの『植物少女』が選ばれました。紹介してくれたのは、クリニックスタッフでした。「実はこの作品のテーマは“傾聴”です」と語ったその言葉どおり、深く静かで、それでいて鋭く人の心を刺すような一冊でした。
『植物少女』は、出産直後に植物状態となった母と、その母のそばで育った娘の物語。会話ができない母のもとで育つこと——それは、言葉に対する期待や反応の見返りを持たない、極めて特殊な環境での成長を意味します。
母は動かず、反応せず、話さない。その母の存在に向けて、娘はただ語りかけ続けます。「今日は学校でこんなことがあったよ」「寂しいよ」……でも返ってくるのは、何もない沈黙だけ。
この本が描いているのは、「話すこと」「聞いてもらうこと」が、どれほど人間にとって本質的で、かつ難しいことかという真実です。
精神科の現場では、「傾聴」がよく語られます。カウンセリングの基礎技法のひとつとしても知られる傾聴。一般的には、「相手の話に耳を傾ける」「共感を示す」「適切な相づちやオウム返しを使う」などのスキルが紹介されることが多いでしょう。
しかし、この作品は、それらの“スキル的な傾聴”の限界を問いかけてきます。
オウム返しは、確かに安心感を与えることがあります。しかし、同じ「苦しい」という言葉でも、それを発した人の内面と、聞き手がそれを繰り返すときの内面では、その意味や重み、イメージが微妙にずれていることがあるのです。
この“わずかなズレ”を意識するからこそ、カウンセラーや支援者の中には、「真の傾聴とは“反応しないこと”に近い」と語る人もいます。
では、完全に“反応しない”とはどういうことか? それは、まさに『植物少女』の母のような存在です。動かず、言葉を返さず、ただそこに存在する。その母に対して話しかけ続ける娘の姿は、ひとつの極限的な「傾聴関係」を思わせます。
ここで注目したいのは、この小説を精神科の場で読む意味です。
とくに、クレプトマニアや違法薬物など、司法と関わる疾患を抱える方々にとって、「語る」「聴かれる」という体験は、意外なほど乏しい場合があります。
犯罪の加害者というレッテル、世間からの非難、支援者からの評価的なまなざし——そうした中で、彼らの語りは萎縮し、あるいは攻撃的になってしまいます。言葉が心の奥底から離れ、建前や反抗、自己正当化に満ちていってしまう。
そんな彼らにとって、ただそこに存在する誰か——反応も評価もしないが、確かに“そこにいる”という存在との関係は、まったく新しい体験となりえます。
本書を通じて私たちは、「語りかけるということ」「誰かに話すということ」が、いかに人を癒し、支えるのかを再確認することができるのです。
「話すこと、聞くこと、それが“交換”であることを期待しすぎる私たちにとって、この本は大きな問いを投げかけてきます」
“話しても反応がないこと”に傷つくのではなく、むしろ“反応を求めない話し方”にこそ、人は本当の自由を見出せるのではないか。この作品を読み終えたあと、私たちはそんな深い思索に包まれるかもしれません。
読後の静かな余韻を、ぜひ多くの方に味わっていただきたい一冊です。
ブログ担当:スタッフH
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